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「24時間電話健康相談サービス」のパイオニア
ティーペック・砂原社長が語る【前編】
ファイナンシャル・プランナー 黒田 尚子
  保険セールスに携わっておられる方であれば、「ティーペック」を知らない人はいないでしょう。同社は、日本で初めて年中無休の24時間電話による健康・医療相談を立ち上げ、現在多くの保険商品に付帯サービスとして付加されているセカンドピニオンサービス等を提供するなど、健康相談・医療関連サービスのリーディングカンパニーです。
  今回は、ティーペック(株)の砂原健市社長に、同社の設立の経緯やさまざまなサービス、今後の取り組みなどについてお話を伺いました。
―私自身(黒田)が乳がんサバイバーとして、日ごろ、がん患者さんへのピアサポートを行う上で実感するのが、がん患者とそのご家族が、まず悩むのが「医師選び」であり、「病院選び」だということです。その点だけでも、一企業であるティーペックさんが、多くの‘名医’と言われる優秀な医師の方々と全国的なネットワークを組んでおられるのは、大変な驚きなのですが、そもそもなぜ、このような会社を設立しようとお考えになったのでしょうか?(以下、敬称略)
砂原 :  ティーペックは、平成元年に設立しましたから、今で創業26年目です。設立のきっかけは、昭和57年12月に、母がくも膜下出血で倒れて救急車で運ばれたこと。搬送から17時間くらい経った翌朝に、その病院で「うちでは手におえない。総合病院を紹介しますから転院してください」と言われました。それから救急車でまた10分くらいの脳神経外科のある病院に行って、そこではじめてCTスキャンをとったのです。その病院では「時間が経ち過ぎていますから、有効な応急処置はできません」と言われました。母の意識が戻るまで1週間くらいかかり、結局、半身麻痺になって。総合病院に半年、リハビリ病院に9か月いました。それ以降も、長男として在宅ケアを10年くらいやるんですけども…
あのとき、どうして救急車は、脳神経外科のある病院に運んでくれなかったのか。搬送先の病院も、ほかに行ってくださいという対応が本来あるべきでしょう。症状としては分かるわけですよね。脳梗塞なのか、脳出血や、くも膜下出血なのか。後から知ったのですが、約4時間以内に応急処置をすれば、医学的な処置にはいろいろな可能性があったわけです。
最初は、救急車と受け入れた病院を訴えようと、友人の弁護士に相談もしました。でもまだ救急救命士制度*もない頃で、最寄りの救急病院に搬送した救急車には、法的な問題はありませんでした。
そこで、行政の医療制度や医療機関を補完する民間企業ができないか考えたのです。「東京民間救急センター協議会」という勉強会を立ち上げ、4年くらいかかって、平成元年にティーペックを作ったというのが、設立の経緯になります。
*救急救命士制度・・・「救急救命士」とは、厚生労働省の免許を受けて、医師の指示のもと重度傷病者が病院または診療所に搬送されるまでの救急救命措置を行う者のこと。平成3年に制度が創設された。


<ティーペック株式会社 代表取締役社長  砂原すなはら 健市けんいち 氏 プロフィール>
1950年6月生まれ。
1989年6月 ティーペック株式会社設立、取締役就任。同社常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長を経て、2004年6月より現職。
ティーペック株式会社HP http://www.t-pec.co.jp
 
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