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以前、「紹介の仕方」「紹介のされ方」の重要さについて改めて考えることになった2つのケースを続けて経験したことがあります。
1つ目は、自分が紹介したケースです。知人から、「紹介状(推薦文)を書いてほしい」と頼まれたのです。
そこで私が心がけたのは、「いい人。素晴らしい人。実力のある人です」といった、抽象的で、通り一遍の表現で済ませるのではなく、なぜそう思うのか? どんな価値観を持っていて、何ができる人物なのか? これまでにどういう実績があるのか? といったことを、具体的なエピソード(事実)と共に書くことでした。
それを読む紹介先の人が、その知人と会うことで期待できる(広い意味での)メリットを明確にイメージできるように努力したわけです。
2つ目は、逆に、自分が紹介されたケースです。
先ほどの紹介状を書いたすぐ後に、初めて仕事をするお相手との顔合わせがあったのですが、その件で“仲人役”として間に入ってくれた人は、事前に何の打ち合わせもしていないのに、《私が伝えてほしいと思っている通り》に私を紹介してくれました。
その人は、私が満足するようにほめ称えてくれたのではありません。@私の“弱点”もきちんと明らかにしたうえで、Aその弱点を補う以上のストロングポイントを持っていることを伝え、Bその話と絡めて、お互いの良さを発揮して最大の成果を出すための関係のつくり方を提案してくれたのです。
こうした紹介を、即興で、さらりとできる人は私の記憶にはまずいなかったので、ありがたいと思うのと同時に、内心、舌を巻きました。
ところで、これら2つの紹介の場面で起きていたことを図で示すと、こうなります。
上の図の正方形と菱形に対して、あとから枠組みを書き足したらどのように見えるでしょう?
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