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機関経営12ヶ月
郷に入れば郷に従え(その2)
生保営業(募集編)
職員との溝
  次郎には、論理的に話をさせると雄弁になるという傾向があるが、同時に実行が伴わずすぐ馬脚をあらわすという欠点もある。本社での事務的な仕事ならそれも目立たないが、数字の世界では通用しない。
  機関長会議で叱責された先輩機関長も、恨めしげにこちらを見ているようで、その後は心ここにあらずの状態で会議が終わってしまった・・・。
  「とことんビジョンを語り合い、意志の結集を図る」と広言した手前、後に引けない心境で職員一人ひとりとの話し合いを始めた。
  だが、いくら時間をかけても、「何でもいいから話をしてくれ」と頼んでみても、職員の反応ははかばかしくない。一般的に雪国の人は口が重いといわれている。しかし本当は情が深く、好人物が多いのだが、着任早々の次郎にはそれが見えてこない。「なんと強情で冷たいのだろう」と腹立たしくなり、話し合うことは時間の無駄と思うようになってきた。
  次郎は自分では都会人のつもりでいる。「都会人はスマートで知性的であらねばならない。義理人情などを重視する経営は時代遅れだ」と信じて疑わない。従って、職員とお茶や食事を共にしておだてたりするつもりは毛頭ない。ただひたすら仕事だけを中心に話し合いの場を持ち、後援者などへのあいさつ訪問や契約の支援で駆けずり回った。
ブロック長のアドバイス
  あっという間に締切りが近づいてきた。一体全体どうなることやら、皆目検討がつかない。組織長たちは自分の仕事が精一杯で、所属員の指導どころか把握もあまりされていない。このまま放っておけば2名の育成層を含む5〜6名は未挙績に終わり、基準の大幅未達が見込まれる。
  締切りを3日後に控えたある日、ブロック機関長会議が開かれることになった。会議はブロックの機関長4名に、支社からスタッフが参加し、初めてのことでもあり次郎の機関で行われた。
  会議終了後、次郎はやむにやまれず、石丸ブロック長に現状を報告してアドバイスを受ける決心をした。
  石丸ブロック長は地元出身だが、苦労人で性格も温和、人望も厚い。機関長のみならず、営業職員からも慕われ、Y営業所の職員からも情報は種々入っていた。次郎の経営ぶりをじっと観察し、いつ助言をしようかと機会をうかがっていたが、本人から相談があったため、渡りに船とばかりに一杯飲みながら話を始めた。
  「君がひたむきに努力しているのはよく分かるよ。だが、なぜ職員が耳を傾けず、心を開こうとしないのか、考えてみたことはあるのかな? 恐らく、君は自分のしていることが正しいと思っているのだろうが、相手の目線に合わせることも機関長としては必要だと思うね。人間、だれしも自分に関心を持ってほしい、認めてほしいという気持ちがあるものだ。だが、君は仕事の側面には関心を示しても人間的な面には無関心ではなかったかね。 例えば、この4月に職員の子どもで入園や入学、就職をした家庭を把握していたかい? 誕生日を迎えた人に声をかけただろうか?」
苦痛と不安を抱えながら…
  「家庭に病人はいないのか、円満なのか、そんな私的なことは本当に仕事には関係ないことなのかな。『郷に入っては郷に従え』という諺があるが、もう一度この地域の土地柄や人柄を理解し、溶け込もうとすることから始めたらどうだろうか・・・」
  ブロック長の話はなおも続いたが、次郎は少々酔いはじめた頭の中で、必ずしも同意できないと考えていた。人間的側面ばかりを強調する浪花節的家族型経営を内心では軽蔑していたからである。
  「職員の意識や行動を徹底的に変革するしかない・・・」
  どうやら石丸ブロック長の助言もあまり効果はなかったようである。
  結局、4月の業績は、採用も新契約も散々な結果に終わり、次郎は当然、支社長から強烈な叱責を食うものと覚悟して会議に臨んだ。
  しかし、意外にも支社長は、「来月はしっかり頑張れ」と言ったきりであった。それが次郎にとってはかえって苦痛でもあり、不安も募っていった。
執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2009.04.20
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