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機関経営12ヶ月
「人を知れ 人を知るこそ 人なれや」(その1)
生保営業(募集編)
悪夢を振りほどき…
  平成次郎はどうにも嫌な夢を見た。気が付くと汗をびっしょりかいている。営業職員が一人また一人と退社を申し出て、ついに機関長と事務員しか残っていないのである。沈没を免れない難破船から危機を察知したネズミが逃げ出し、船長1人が必死に舵をとり、船員たちを説得しても効果はなく、とうとう沈没してしまうかのごとくである。機関長になってから、しばしばこのような悪夢を見るようになった。それは締切り数字が埋まらなかったり、採用ができなかったり、また時には支社長から叱責されたり。常に数字が頭にこびりついて離れないためであろう。
  そんな悪夢を振り払うように、次郎は足早に出勤した。
二人の新人
  さて、田辺さんが連れてきた大塚さんと永井さんは、次郎の必死の努力でどうにか登録までこぎつけた。当初、本気で勤める気などなかった二人だが、つきっきりで次郎が保険の知識を教えているうちに、いつの間にか興味を持ったらしい。その上、給料までもらい、いつまでも冷やかし半分では申し訳ないと思うのは人情である。もっとも、次郎の方も教育に関心を持てるように工夫を凝らした。日本に初めて生命保険を紹介した福沢諭吉の「西洋旅案内」復刻版まで準備した。とりわけ、現在の金融情勢の解説は、いたく彼女たちの知的好奇心を満たしたようだった。一般課程の試験結果は大塚さんが100点、永井さんが98点と上々であったが、問題はこれからの育成である。
  「出る杭は打たれる」というが、組織長や先輩たちが嫉妬して意地悪したりしないか…。心配のあまり次郎は、意に反して彼女たちとそれぞれ食事をしながら協力を要請した。おまけに家庭訪問まで行ったものだから、組織長たちが面食らうのも無理はない。しかし、何としても二人を育てたい、という想いが職員たちとの距離を縮めたようで、自然に会話も多くなり、冗談も飛び交うなど機関に活気が出てきた。もともと大塚さん、永井さんとも明るく素直な性格で、反感を買うような人ではない。
  第1号契約は二人ともイニシアルであった。いとも簡単に契約ができたので次郎は逆に心配になったほどである。あまりにうまくいきすぎる! 何か前途に大きな落とし穴が待ち受けているようで、気が気ではなかった。
再びブロック長の元へ
  6月も中旬となると、来月のことが気にかかるようになる。
  B生命では例年7、11、2月を重要月とし大増産の号令がかかる。機関長や営業職員を刺激するためにいろいろな規定や表彰施策が設けられ、顧客対象にさまざまなイベントが実施される。6月中旬から7月上旬にかけてのゴルフコンペから始まり、ボウリング大会、ホテルでの後援者一席招待会、銀行支店長招待会、経済評論家による講演会と目白押しである。このうちゴルフコンペと講演会は支社主催であるが、Y市から実施会場まで距離があるため、今までの例ではせいぜい3、4名程度の参加者しか見込めない。また、その他のイベントにしてもこれまでの集客状況は思わしくなく、盛り上がりにも欠けている。組織長たちに原因を聞くと次のようなことに集約された。
(1) 経費や労力の割に効果が薄い
(2) ここ2、3年の新契約の減少で収入がダウン、経費負担に耐えられない
(3) 毎年同じような顔ぶれ、内容で新鮮味がない
  次郎にもなんとなく分かってはいたが、これといった妙案も浮かばない。期日も迫っており、中止する訳にもいかないが、このような状況では実施してもみじめな結果に終わることは目に見えている。
  思いあまって、次郎は石丸ブロック長に相談することにした。ブロック長に前回助言を受けたときには素直に受け止められなかったが、二人の新人が入ったことにより、実感として理解できたという経緯がある。だが、意外なことにブロック長も同じような問題を抱え悩んでいたことを次郎は知ることになる。
執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2009.06.08
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