仕事をする上での三基盤といわれる「イニシアル」「エリア」「職域」のうち、大塚さんと永井さんの職域であるが、次郎は考えた挙げ句、大手通信メーカーの工場を付与することにした。ただし、この工場には約1,000名の従業員が勤務し、集団約定もあるが、出入り許可がない。唯一、同系列会社のK生命のみが許可され、同社の独壇場となっている。
だが、幸いなことに、B生命本社との仕事上のつながりがあるという情報を得て、次郎が本社を通し、出入り許可を得られるように働きかけた結果、比較的スムーズに2枚の許可証が交付されることになった。
二人を連れて工場長や総務担当部署にもあいさつ、食堂を中心に営業活動が許され、週2回訪問が実施された。この結果が半年後にどういうことになるのか、そのときの次郎は知る由もない。
後援者会には、この工場長や総務課長も出席することになり、二人の関係者だけで16名の出席が見込まれ、波及効果によりがぜん準備活動も盛り上がってきた。次郎も朝から晩まであいさつや支援で駆けずり回り、夕方帰社するころには、さすがにグッタリしていた。
同行したり話をすることで、徐々に機関長と営業職員の間の垣根が取り払われ、また後援者会をきっかけとして機関内が一つの目標に向けて進むという一体感が生まれてきたようである。
次郎はあらためて、今までの自分がいかに他人の表面しか知らなかったのか、また知ろうとしなかったかに気付かざるを得なかった。いや、まだまだ十分とは言えない。自身もまた、自分というものを全部さらけ出したわけでもないし、組織長や営業職員の全員と打ち解けたわけでもない。人を育成し、指導することは管理者としての最重要任務であるが、それはまず部下の一人ひとりをよく知り、理解することから始まる。
『人を知れ 人を知るこそ 人なれや』
戦国時代の武将細川藤孝(後に幽斎)の作といわれるこの句こそ、それとは知らず機関長着任3カ月目にして次郎が体得したことである。
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