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機関経営12ヶ月
「人を知れ 人を知るこそ 人なれや」(その2)
生保営業(募集編)
重要月の準備
  ブロック店はY市よりさらに一回り小さい拠点で、営業職員も20名弱、同じブロックの他の二拠点も同じような環境・規模で、いずれもY市から30〜40分程の距離にある。いわば、ブロック内の機関はどこも単独で後援者会などを実施するには、スケールメリットがなく、経費的にも高くついてしまうという共通の課題を抱えていたのである。また、いつまでも同じようなことの繰り返しでいいのか、という意識もある。
  重要月を控え次郎から相談を持ちかけられた石丸ブロック長は次のような提案をした。
  「今までは各拠点で後援者会を実施し、特別な問題もなかった。だが、営業職員の収入も目に見えて減少、集客も悪くなり、無理して実施しても効果がないという悪循環に陥りはじめた。顧客も飲み食いにカラオケやゲームのワンパターンでは魅力を感じないのではないか? 顧客が求めているもの、喜ぶものはなにか? また、どうすればこうしたイベントから成果が出せるのか? 真剣に考えるべきだ。そこで、今回は『後援者会』と『支社長招待会』をブロック共同で、Y市でやってみたらどうだろう。内容については至急ブロック会議を開いて詰めていこう!」
  こうして、ブロック共同で月末に「後援者会」、7月初めに「支社長招待会」を急きょ開催することになった。また、本社より税務の専門家を呼び、「税制改正のポイントと今後の動向」というテーマで時間を設けるなど、内容の詳細も決定したのである。6月の追い込みの中、慌ただしく「案内状」を作成、次郎はその趣旨と効果について懸命にPRした。
  特にイニシアルが豊富な二人の新人には、後援者づくりの大切さを強調し、組織長を説得、新人の経費は機関・組織で補助することを承諾させた。今は案内状を手に、一人でも多くの顧客を訪問し、活動を充実させるしかないと思った。
人を知る
  仕事をする上での三基盤といわれる「イニシアル」「エリア」「職域」のうち、大塚さんと永井さんの職域であるが、次郎は考えた挙げ句、大手通信メーカーの工場を付与することにした。ただし、この工場には約1,000名の従業員が勤務し、集団約定もあるが、出入り許可がない。唯一、同系列会社のK生命のみが許可され、同社の独壇場となっている。
  だが、幸いなことに、B生命本社との仕事上のつながりがあるという情報を得て、次郎が本社を通し、出入り許可を得られるように働きかけた結果、比較的スムーズに2枚の許可証が交付されることになった。
  二人を連れて工場長や総務担当部署にもあいさつ、食堂を中心に営業活動が許され、週2回訪問が実施された。この結果が半年後にどういうことになるのか、そのときの次郎は知る由もない。
  後援者会には、この工場長や総務課長も出席することになり、二人の関係者だけで16名の出席が見込まれ、波及効果によりがぜん準備活動も盛り上がってきた。次郎も朝から晩まであいさつや支援で駆けずり回り、夕方帰社するころには、さすがにグッタリしていた。 同行したり話をすることで、徐々に機関長と営業職員の間の垣根が取り払われ、また後援者会をきっかけとして機関内が一つの目標に向けて進むという一体感が生まれてきたようである。
  次郎はあらためて、今までの自分がいかに他人の表面しか知らなかったのか、また知ろうとしなかったかに気付かざるを得なかった。いや、まだまだ十分とは言えない。自身もまた、自分というものを全部さらけ出したわけでもないし、組織長や営業職員の全員と打ち解けたわけでもない。人を育成し、指導することは管理者としての最重要任務であるが、それはまず部下の一人ひとりをよく知り、理解することから始まる。
  『人を知れ 人を知るこそ 人なれや』
  戦国時代の武将細川藤孝(後に幽斎)の作といわれるこの句こそ、それとは知らず機関長着任3カ月目にして次郎が体得したことである。
執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2009.06.15
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