> 機関経営12カ月 > vol.8 「売れない時代に売りまくる」(その2)
機関経営12ヶ月
「売れない時代に売りまくる」(その2)
生保営業(募集編)
顧客のニーズは何か?
  次郎は、顧客のニーズさえきちんと把握し、それにふさわしいものを提案すればまだまだセールスチャンスは期待できると考えた。高齢社会である昨今、老後生活資金へのニーズは必ずあるはずで、もう一度、自分のお客さまの中で個人年金に未加入の方がいないか、世帯ぐるみで見直し、全件設計書を作成し提案することを考えた。併せて、特に若い世代に医療保険の話をメインに勧めること、この二つを中心に今月は取り組んでいこうと決めた。
  Y機関は古い職員が多いため、既契約者の転換や増額中心の販売からなかなか脱皮できず、いきなりこのような指示をしても即効薬となるかは、はなはだ疑問ではある。だが、大塚さんや永井さんのような新しい層は、なまじ経験がないだけに次郎の言うことを素直に受け止め、早くも個人年金だけで2、3件の成果を挙げている。当面、これらの成功体験を起爆剤として全員に浸透させていくしかないと次郎は考えた。
災い転じて…
  機関長になってからの1日、1カ月という時間はとても短く感じられる。月ごとに締切りがあるという営業の特殊性なのか、慌ただしく仕事に追われるせいなのか、いずれにしてもじっくり考えるゆとりもないほどだ。そんな忙しい大募集月の中旬、機関内で一番のベテランである山本組織長の客と称する男性から「機関長を出せ!」とクレームの電話が入った。
  慌てて用件を聞くと、「お宅のセールスマンは、ただ集金に来るだけで情報提供も何もない。解約したいので、すぐ手続きをしてほしい」という一方的な通告であった。
  「またか!」と次郎は内心舌打ちしつつ、山本組織長に状況を確認したところ、意外な事実が判明した。契約者が、地元では自動車の販売・修理会社のほか、系列に自動車学校、ガソリンスタンドなども経営している倉山グループの社長であることが分かった。山本組織長は退社職員の契約を引き継ぎ、自宅へ毎月集金に訪問しているが、奥さんにしか会っておらず、社長の顔はおろか、家族構成も満足に把握していないありさまである。倉山社長は50代半ばで、保障額は1,000万円と少なく、以前、奥さんから「親戚に保険会社に勤めている人がいるからこれ以上勧めても無駄よ!」と言われたのを単純に守り、十年一日のごとく集金だけしていたという。
  話を聞いた途端に、次郎は契約者の経営している自動車販売会社に飛び、社長に面会し、平身低頭謝罪した。「どうしてこんな大事なお客さまがいることをつかめなかったのか」。己の管理能力のなさを嘆くとともに、ひょっとするとまだ埋もれている有力顧客がいるのでは? と不安も大きくなる。
  赤ら顔で白髪混じりの、いかにも貫禄がある社長は、次郎の懇願むなしく冷然と突き放した。「文句を言われて来るようでは遅い! L生命は毎月機関長や支社長があいさつに来るし、増額も勧められている。お宅の契約を解約した上で大きく保障をアップしようと思っている。明日にでも解約手続きをしてくれ!」と言って席を離れてしまった。
  万事休すか、と肩を落とし機関に戻った次郎であったが、それでもあきらめきれず、『会社年鑑』を調べるうちにふと思いつき、ロータリーの会員でもある後援者に聞いてみると、何と、くだんの社長は次郎と同じ大学の出身であることが分かった。 解決の糸口になるかもと、取りも直さず菓子折りを準備し、夜遅く今度は自宅を訪問した。相手の懐に飛び込むというが、この時の次郎の「後輩に免じて今回は許してほしい。今後はきっとお役に立てるように精一杯努力します」という言葉が効いたのか、社長の表情も和らぎ、「まあ、上がっていけ!」と座敷に通され、しばし大学時代のよもやま話に時を過ごす結果となったから、人の感情というものは分からない。
  これを機に、社長は次郎を気に入ってくれた様子で、「今どきの若い者には珍しい」と褒めてくれた上、L生命に加入予定の契約を鞍替えし、2億5,000万円の事業保険に加入してくれることとなった。
  次郎には年配の人から好かれるという特性があるようである。それは次郎の持つ純粋さやひたむきさが発揮されたときに顕著となることから、若さゆえの特権なのかもしれない。その特権を意識するにしろしないにしろ、活用するかどうかである。
  それは部下である組織長や職員に対してもいえる。下手な駆け引きや相手の心を読むようなことはせず、ただひたすら突き進む。しかし、それは時に摩擦を生み、反感を買う。人間はそうした失敗や挫折を経験し、成長していくものなのだろうか? もちろん、今の次郎はそんなことには目もくれず、ただ今月の基準達成という一点のみを考えている。そして7月、個人年金や億台の事業保険契約ができたものの、結局、基準達成率80%で締切りを迎えた。次郎には無念であり、倉山社長という新たな後援者を得るという収穫はあったものの、心から喜べる1カ月ではなかった。
執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2009.07.27
ページトップへ