このところ、またマスコミ等で生命保険の現状についてとりあげられるケースが増えている。生保危機をあおるようなニュースも少なくなく、業界に身を置くものの一人として次郎も無関心ではいられない。景気低迷がいつまで続くのかは分からないが、かつての成長は望むべくもなく、これが当たり前だという前提で対処していくしかない。
迎えた11月は「生命保険の月」で「業界オリンピックの月」ともいわれ、昭和22年に創設された。当時は終戦直後の混乱の中、生保業界も未曾有の危機にさらされていた。
生命保険会社に対する世間の信用は著しく低下しており、また経済事情の悪化は極端で、保険の募集どころではなかった。さらに、保険経営の根本でもある死差、利差、費差いずれも大きな赤字を覚悟せねばならなかった。なんとなく、昨今の状況と似ていないでもないが、こうした戦後の混乱とインフレのなかで混迷を極めていた生保事業を、一刻も早く復興させるための一大キャンペーンとして、当時のGHQ保険担当官ロイストンの示唆もあり「生命保険の月」がスタートしたのであった。一人でも多くの人に生命保険の必要性を訴えるために、新種保険の開発や月掛保険の創設を始め、営業力の強化として家庭婦人をセールスマンとして採用したのもこのころである。そうした努力の結果、生保も日本経済の奇跡的な復興と相伴い、躍進を続けてきた。
過去の歴史をひもとき、戦後の混乱期における想像を絶する先人達の苦労を思うと、次郎もいまさらながら「生命保険の月」の意義と、それに取り組む決意を新たにせざるを得なかった。
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