> 機関経営12カ月 > vol.19 「緊急事態発生! 機関長不在!」(その1)
機関経営12ヶ月
「緊急事態発生! 機関長不在!」(その1)
生保営業(募集編)
不祥事の後遺症
  大晦日から降りだした雪は正月三が日も続き、4日の初出勤日は交通も大混乱であった。いつもより早めに家を出たものの、至る所で車が立ち往生している。ようやく会社にたどり着いたものの、駐車場の入り口は除雪車が片付けた雪の山である。持ちなれないスコップを手に除雪作業を始めたが遅々として進まない。疲労がピークに達するころ、ようやく2人、3人と出勤した職員も手伝ってくれ、何とか駐車スペースが確保できたのは1時間後のことである。こんなことは春までに数回あると聞かされ、あらためて雪国の厳しさを知った。
  大雪に加え、学校がまだ冬休み中のせいか、年初の顔合わせの日であるにもかかわらず欠席者が6名もおり、次郎も機嫌が悪い。以前は初出勤の日は全員で乾杯した後、近くの神社に参拝していたらしい。だが、今はそんな悠長なこともしていられない。次郎は、正月気分の抜け切らない職員の重い腰を上げさせるのに懸命であった。設計書を打たせたり、あいさつ訪問に行くように指示したり、たまっている報告書の処理などで慌ただしく一日が終わった。
  翌5日は午後から機関長・組織長の合同会議や新年会が予定されており、今月も相変わらずスケジュールがぎっしり詰まっている。だが先月の不祥事の影響か、次郎の言動は何となく精彩がない。これではいけないと思いながらも、次郎を非難がましい目で見つめるNさんの顔や、購読を強要する二人連れの恐ろしげな姿が脳裏に浮かんでくる。もともと次郎は自分の性格を物事にあまり動じず、楽天的な方だと思っていたが、意外に繊細で傷つきやすいのだろうか? そんな自分がまた情けなく、もがき苦しむ心境の次郎であった。
急性胃かいようでダウン
  身体の異変は年末から感じていた。食欲が衰え、気分が悪くなる。当初は風邪でもひいたのか、と気にもとめなかったが、やがて胃がキリキリ痛みだし、食べたものを吐き出すようになってしまった。
  物心ついて以来およそ病院とは縁のなかった次郎も、さすがに不安になり市内の総合病院で診てもらうことにした。
  胃カメラを飲んで出された診断結果は急性胃かいようで、放置しておけばもう少しで胃に穴があいてしまうところだったいう。10日間ほどは絶対安静で治療を要するとされ、妻の強い要請もあり急きょ入院することになった。原因は過度のストレスにあるとされ、担当医師から入院中は仕事の話は厳禁だ、とくぎを刺されてしまった。命に別状はないとはいえ、こうなっては次郎も観念せざるを得ない。
  1月12日、底冷えのする日の午後、次郎は生涯で初めての入院生活を送ることとなった。
  病室は8名収容の大部屋で、同じような病状と思われる、顔色の悪い中高年の男性ばかりである。病院特有の消毒臭さや薄味の食事、およそ家庭のぬくもりとはほど遠いこの病室で10日間も過ごさなければならないかと想像するだけでつらくなる。
  医者から仕事のことは考えるなと注意されているが、そう簡単に忘れられるものではない。それどころか、じっとしていればいるほど、頭の中は辞めそうな職員や締切りのこと、特別月を控え予定されている諸催事のことなど気にかかることばかりである。会社関係の人間が見舞いに訪れるのは好ましくないため禁止されているらしく、誰もこない。
  そのことがかえって次郎をイライラさせ、これではますますストレスが高まるばかりだった。備え付けのテレビをうつろな目で眺め、与えられる薬を義務的に飲み、時の経過を待つだけであった。

執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2010.01.18
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