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機関経営12ヶ月
「タイトルを目指して」(その1)
生保営業(募集編)
青年会議所への入会
  入院生活を終え、次郎は職場へ復帰した。
  ふと思うに、会社員生活も8年目となるが、この間ほとんどが社内の人間との付き合いであった。学生時代の友人ともお互い多忙でいつの間にか疎遠となってしまった。だが、機関長ともなれば否応なしに社外の人とも接触し、付き合わざるを得なくなる。当初はそれが苦痛であいさつひとつぎこちなく、銀行の支店長や企業の社長と面会すると肩書きだけで圧倒され、何をどう話したらいいのか、冷や汗のかき通しであった。だが、場数を踏むにつれ余裕が生まれ、今では冗談も言えるようになったが、どうも何かが物足りない。
  年代の差もあるが、心から打ち解けていないし、悩みや相談などを真摯に語り合うこともできない。しょせん、仕事を通しての表面的な付き合いにすぎないのか。
  ある日、取引先であるA商事の田中社長から、会社まで来てほしいとの電話が入った。田中社長は先代の急死により、急きょ後継者となった二代目で、まだ34歳という若さである。次郎もそれまで2、3度会ったことがあるが、革新的なアイデアと実行力で会社の業績をあげており、地元では若手経営者のホープと噂されているひとりである。人をひきつける包容力のある笑みで「青年会議所に入ってもらえないだろうか」と次郎に持ちかけた。
  よく尋ねてみると、若手の経営者を中心に組織されている会議所も時代の変化で会員が年々減少しており、今月は会のPRを兼ねて会員の増強運動をしているとのことであった。しかし会の性格上、誰でもいいというわけにはいかず、ふさわしい人物をリストアップ、特に次郎は生・損保業界の代表としてぜひ入会してほしいという要請であった。入会金や会費も決して安くはないし、月々の例会や奉仕活動などの出席を義務付けられ、本来の業務に支障をきたさないか、次郎もちゅうちょした。
  だが、かねてから田中社長のような魅力的な人物と個人的に付き合う機会を望んでいたし、仕事上もメリットが十分期待できるのではという思いが勝り、結局は入会を承諾した。その後開催された例会の席上、次郎は同時に入会した他の4人と共に紹介され温かい歓迎を受けた。その夜、小料理屋で開かれた歓迎会では、同世代というせいか初対面にもかかわらず、のびのびと語り合い、心地よく酔うことができた。しかも、彼らの話はいずれも新鮮で大きなカルチャーショックを次郎に与えたのであった。
勝利の条件
  迎えた2月は、8月と共にどの業界も売り上げ不振に苦しむ月、「ニッパチ」である。B生命ではこの月を乗り切るために「決算月」と称して「特別月」を展開している。年間の諸基準や指標の達成のめども今月の成否にかかっており、機関長にとっても正念場である。特にY機関にとっては「優秀機関」や「優秀組織」というタイトルが手の届く距離にあり、何としても獲得したいと次郎は決意した。
  基準のうち最も達成が困難と思われるのが純増加Sと初年度継続率で、組織も同じような状況である。ただし、三組織の中で一組織だけはかなり厳しいが、絶対不可能な数値ではない。すべての項目を達成できそうな機関や組織はおそらく全国的に限られており、それだけにどうせ狙うなら高得点で上位入賞を果たしたいと、夢はふくらむばかりである。
  もっとも、年度初めの時点ではタイトルどころではなく、気がつけば掌中にあったというのが事実である。したがって、ここにきて急にタイトルうんぬんを全員に呼びかけるのも気がひける。おまけにY機関は過去、タイトルにおよそ縁がなく調べてみると辛うじて12年前に該当しているだけである。
  そもそもタイトルとはなにか? その意義とメリットはなにか? から説明しなければ職員は理解できないだろう。少なくとも、その大義名分によって過大なことを要求したり、犠牲を強いたりすることだけはしまい、と次郎は自戒した。
  したがって大上段に機関のタイトル獲得をスローガンに掲げるより、優秀組織に焦点を合わせ全員の盛り上がりと結集で2月を展開していく戦法をとることにした。3人の組織長と2名の組織長候補を交えた機関経営会議において、タイトルの規定、各組織の現状と今後の見通し、達成できた場合のメリット、処遇など、こと細かに説明した。そのとき、次郎は心底、己の名誉や欲ではなく部下の成長、成功、喜びだけを念じていた。そして、「ここまで来ているのなら頑張って絶対にタイトルを獲得しよう!」と皆の思いが一致し特別月はスタートした。

執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2010.02.15
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