> 機関経営12カ月 > vol.23 「志高く、思いは遠く」(その1)
機関経営12ヶ月
「志高く、思いは遠く」(その1)
生保営業(募集編)
人事異動
  今年もまた春の人事異動の時期が訪れた。支社では支社長の他、2名のスタッフと3名の機関長が異動することとなり、新年度を控え何となく慌ただしく落ち着かない。支社長には随分怒られ、厳しい指導を受けたが、経営のノウハウや考え方について多くのことを学んだのも事実である。今となっては、夜遅くまで議論を交わした会議も懐かしく、一年間共に働いた機関長仲間と別れるのも寂しい。と同時に、所在地の機関が閉鎖、統合されるなど、厳しい現実をあらためて認識させられた人事でもあった。
  だが、次郎の機関にとっては、直接関係するものではなく平穏無事に3月を迎えられると思っていた矢先、思いもかけない事態が起こった。いまや若手のホープで来月大塚さんと共に組織長昇格が内定している永井さんのご主人が転勤の内示を受けたのである。転勤先は関西で、月末には家族揃って引っ越しせざるを得ないという。手塩にかけて育てた組織長がいなくなる、次郎の受けたショックと落胆は大きいが、彼女が採用した新人や所属員に与える影響は図りしれない。永井さんの夫は大手メーカーに勤める管理職だから、当然いつかは異動の時期がくることは予想された。だが、この地に赴任してまだ3年目であり、慣例からすれば当分異動はないものと思われていた。それにできればここに永住したいという希望を持って当地を望んだ経緯もある。しかし、不景気の影響はこのメーカーも直撃し、Y市の工場は縮小されることとなったのである。完全な閉鎖こそ免れたものの、下請けや関連会社への影響も懸念される。あまりに急な転勤で永井さん自身も動転していたが、仕事もすっかり軌道に乗ってきたことだし、できれば転勤先でも継続してやってみたいと次郎に伝えた。
  まさか、ご主人と別居してでも組織長として頑張ってほしいと説得するわけにもいかない。泣く泣く、次郎は転勤先の機関を調べ転属の手続きを進めるしかなかった。そして気を取り直し、永井さんに代わる組織長を誰にすべきか思案した。
10年後の夢計画
  ところで前月、「青年会議所」に入会した次郎は、専門部会として「Y市2020年計画委員会」のメンバーとなり、既に2回会合が開かれていた。古い歴史を持つ城下町のY市だが、これといった産業もなく人口は年々減少している。
  そこで魅力的な街づくりをすべく、市と連携し10年後を目指し実現しようというプロジェクト計画である。当然、それなりの資金も必要となるが、若い人の大胆、ユニークな発想で市民からも大いに期待されている。最初の会合では、随分とっぴな意見も飛び交い驚いたが、何より彼等の情熱と豊かな見識に感銘を受けた。ひるがえって、自身のことを考えてみると、果たして確固たる信念やビジョンを持って取り組んできただろうか、と反省させられる。目先のことに一喜一憂し、3年後、5年後の機関のビジョンなどには考えが及ばず、まして10年後など想像がつかない。
  B生命では機関長の場合、大体は4、5年で転勤となり、長くてもせいぜい5、6年である。転勤により、またフレッシュな気持ちになりマンネリ化を防ぐという効果もあるが、反面、在任期間中のボロが出ぬようつじつまを合わせ、後は野となれ山となれとばかりに、問題の解決を先送りしてしまいがちである。
  10年後のビジョンを描け、などといっても無理な話かもしれないが、青年会議所の活動を通し、次郎も考え直さざるを得なかった。大雨で河川が氾濫し土手が決壊しそうになれば応急手当を講じる必要がある。だが、その場だけの手当に終始していれば、氾濫するという問題は永久に解決しない。それこそ何十年という長期計画で抜本的に河川の改修工事をする必要があるのと同じ理屈では・・・、次郎は思った。

次回、ついに最終回を迎えます。ご期待ください。

執筆当時と時代背景が異なっており、一部現在の状況にそぐわない記載等がありますが、機関経営の本質に変わることはありませんので、あえて原文通りとしています。
(つづく)
2010.03.01
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