>  今週のトピックス >  No.426
日本人のクジラは、アメリカ人のハンバーガー?
〜国内も海外も欺く捕鯨推進派の胸の内とは〜
  山口県下関市で開かれていた国際捕鯨委員会(IWC)総会が5月24日閉会した。日本が求めた「沿岸でのミンククジラの捕獲枠」は否決。また、米国とロシア共同提案の「先住民生存捕鯨捕獲枠の修正案」も可決されなかった。IWCの歴史上、生存捕鯨が否定されたのは初めてのこと。これは、商業捕鯨が認められなかった日本側の報復措置の結果だ。
  生存捕鯨とは、先住民族であるイヌイットとチュコチカが伝統的に行ってきた捕鯨方法。「換金性を伴わず、頭数を制限する」条件で許可されている。NGOの中でも動物愛護団体は別として、グリーンピースなどの環境保護団体の多くは、生存捕鯨を持続可能と認め反対していなかった。日本の沿岸捕鯨が駄目なら、先住民族の捕鯨も駄目という考え方はどうだろうか。日本のマスコミの多くがいまだに、「伝統食文化に対する外圧」という構図から脱することのできない視点で、日本の沿岸捕鯨と米国先住民の生存捕鯨を同じようにみなしていた。どこまで掘り下げた取材をしたのだろうか。日本の沿岸捕鯨もイヌイットの生存捕鯨と同じような郷土的伝統とはいえ、商業的か否かということでは明確に異なる。商業捕鯨は生存捕鯨と違い金儲けが目的である。
  2001年に出版された「日本沿岸捕鯨の興亡」(近藤勲 著)という日本捕鯨(株)の元役員の手記が捕鯨関係者の間で波紋を広げている。捕鯨が認められていた当時、捕鯨関係各社が捕獲数やサイズをごまかしていた事実を、捕鯨歴三十年の著者が明かしている。利益を出すには乱獲せざるえず、IWCから派遣された国際オブザーバーへの監視の目を逃れるためにも、捕鯨基地ではさまざまな手段を講じていたという。商業捕鯨がはじまれば、また同じことが行われるのではという危惧が拭い去れない。
  今回の総会で、日本の賛同国が数字的には増えた。その理由として、特定の開発途上国に水産関係のODAを提供することで新たにIWCへの加入を勧め、日本支持へと圧力をかけたためという見方が強い。東カリブの6カ国(アンティグア・バーブーダ、ドミニカ、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント&グレナディン、セントキッツ&ネヴィス)、ギニア、パナマ、モロッコなどは捕鯨を行わない国々だが、ほとんどの議案で日本と同じ投票行動をとった。いずれも日本が最大の援助国だ。「票買い」の構造は、かつては英国や米国が使っていた戦略と同じであろう。
   捕鯨推進派の動きで気になるもうひとつの点が、海外に向けて発信しているメッセージだ。業界団体である「日本捕鯨協会」の公式ホームページ (http://www.jp-whaling-assn.com/)にアクセスしてみると、英語のページに掲載されているQ&A(http://www.jp-whaling-assn.com/qa/abandon.htm)の中に次のような質問がある。
「Since most Western nations are opposed to whaling, why doesn't Japan just abandon its tradition?
(ほとんどの西洋諸国が捕鯨に反対しているのに、なぜ日本はその慣習を止めないのですか)」
この回答として、以下のような記述がなされている。
「Asking Japan to abandon this part of it's culture would compare to Australians being asked to stop eating meat pies, Americans being asked to stop eating hamburgers and the English being asked to go without fish and chips.
(日本人にこの文化を捨てろというのは、オーストラリア人にミートパイを食べるな、アメリカ人にハンバーガーを食べるな、英国人にフィッシュ&チップスを食べるなということに、たとえられる)」
   これは事実に反するのではないか。来日経験も日本語の知識もなくこれを読んだ海外の人は、「日本人はクジラを日常的にたくさん食べている」と思うだろう。一方、この「日本捕鯨協会」サイト内の同じ問いと答えが日本語版としてあるが、上記にあるたとえのくだりはそっくり削除されている。
(http://www.jp-whaling-assn.com/jp/qa.htm#Q3)
  日英の両バージョンを読み比べないと気づかないが、海外に対してと同様に日本国民をも欺く行為をとっていることになる。
  昨年、全国水産卸市場で販売している鯨肉が売れ残った。調査捕鯨開始の1987年以来、初めてのことだ。珍味となる部分としては一部で根強い需要は今後も続くだろうが、一般的には鯨肉離れが進んでいる。朝日新聞による2002年3月の世論調査では、「鯨肉を食べない」という人が60歳以上では32%。30代前半では41%、20代前半では53%と、若い世代ほど顕著に遠ざかっている。
  こういう状況で、日本政府が捕鯨推進を強く主張するのはなぜなのだろうか。本気で主張するならなぜアイスランドのようにIWCから脱退しないのか。あるいは、ノルウェーのようにIWCに対して強く異議申し立てをしないのか。本当に国内の捕鯨産業を再興したいのならば、なぜノルウェーから鯨肉を輸入しようとするのか。日本はかつて捕鯨禁止に異議申し立てをしたが、米国からの圧力に屈して取り止めた経緯がある。また、現実に商業捕鯨が認められれば、その他の海外からの安い鯨肉が密輸を含めよりたくさん入り、国内産業への大きな打撃となる恐れもある。業界の人々にとっても商業捕鯨が全面的に解禁され、鯨肉が大量に市場に出回ったら困ることだろう。値段が下がり薄利多売しなくてはならないのだ。そうなったら、鯨産業は自由競争や市場原理に委ねては成立しにくいものとなるだろう。規制が強い状況のまま、調査捕鯨という政府委託事業として仕入れ値は安く、末端市場価格では高く維持できる現状が一番居心地がよいのではないだろうか。
  伝統食文化を主張するなら、消費者の側に立ち、有害物質による鯨肉の汚染対策も厳しく行うべきではないだろうか。結局のところ、捕鯨推進は米国の直接的圧力の及ばない程度の主張で、ナショナリズム高揚のために利用する単なるポーズに過ぎないのでは、と思えてしまう。
(フリーライター  志田 和隆)
2002.06.04
前のページにもどる
ページトップへ