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2002年度の経済財政白書は何を意図するのか
  2002年度の年次経済財政報告(経済財政白書)が提出された。今回の担当大臣は竹中平蔵経済財政・金融担当大臣だけに、その骨子には「竹中色」が鮮明に出ているのが特徴である。まず、白書では「不良債権が景気の自律回復力を弱めている」と分析している。
  しかし、この考えには疑問が多い。現在の不良債権の発生要因はバブル型ではなく、需要不足による不況型のものである。すなわち、企業の経営不振からきたリストラ、失業率の増加が個人消費を落ち込ませ、それが企業の活性化を阻んでいるのだ。
  また、バブル後から起きている不動産の長期低落・株価の下落がデフレの背景にある。肝心なのは地価高騰を押さえ込んだ土地税制の撤廃である。その後で、土地の流動化や有効開発を呼び込まないことには経済は活性化はしない。
  株価にしても、複雑な税制への転換が法人・個人投資家の株離れを招いている。その結果、企業のバランスシートでは資産の中身が毎年減少し、体質を弱めている。大切なのは、過去の遺産の見直しや間違った税制の転換を改めなければならないということだ。
  さらに、今の需要不足は、単に民間の活力だけでは解消はできず、積極的な財政の出動が待たれているのである。しかし、政府のデフレ政策からは、この具体策が見えてこない。瀕死の病人を前にして、点滴による体力の回復策を講じるのではなく、いかにして医療費の節減をはかるか考えているのが現状である。
  不良債権の増加を押さえて処理を促進するには、減っている需要を喚起し、企業の活性化をはかることが先決である。これによってのみ企業の再生が行われ、不良債権は減少する。ところが白書では「個人消費低迷や設備投資の減少、資産デフレとの悪循環が起きており、良い事業と清算すべき事業を見極め、迅速に不良債権を処理すべきだ」と提言している。
  ここでは経済の悪循環をどのように断ち切るかについて「悪い企業をいかにつぶすか」に力点が置かれているように思われる。確かに、再建の見通しのない企業への貸し付けや債権放棄は意味がない。しかし、銀行に早期の不良債権処理を迫り、強制的な公的資金の注入や国有化をちらつかせれば、何が起きるだろうか。まずは、公的資金無しに自己資本比率を維持するために、「企業への資金供給の極端な減少、貸しはがし、国債の購入」が起き、その結果、極めて劇的な連鎖的な倒産が起きる。
  最悪のデフレスパイラルから経済恐慌への道を進むことになる。アメリカからは早期の銀行の不良債権処理が要請されてはいるが、日本には日本独自の方策があるわけで、韓国型を例に出しても仕方がない。金融の破綻は、アメリカなどの外資ファンドを喜ばせるだけである。
  確かに銀行の不良債権処理には、生ぬるいところがあるのは否定できない。しかし、だからといって、中小企業や国民生活の破綻を招くのはどうであろうか。これらについての方策としては「日銀の量的緩和策について円安」という点だけが見るべきものがあるといえる。
  白書では、「今後、米経済が停滞すれば景気回復が腰折れする可能性も否定できない」と警戒感を示しているが、アメリカ頼みの日本の企業の実体を改善するには需要の喚起であり、それも民需ではなく財政で行うことが今は効果的であるのは明らかだ。30兆円の国債発行の枠を守るのは結構だが、経済が頓挫したのではその国債の返済も出来まい。経済の再生が「不良債権処理のハードランディング」だけにあ るかのような政治手法は明らかに現状を見誤った考えである。白書が意図的に銀行つぶし、民間企業つぶしの色が濃いのは警戒しなければならない。
(経済評論家  石井 勝利)
2002.11.19
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