>  今週のトピックス >  No.535
高まるか 死刑廃止論議
  国会の超党派で組織する「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長、120人)は、11月27日、「死刑臨調」を設置して、当面の死刑執行停止を求めるための「特別無期刑(仮称)」の新設を盛り込んだ刑法改正案を来年の通常国会に提出する方針を固めた、と発表した。この「特別無期刑」というのは、死刑は存置したまま、死刑と現在の無期刑の間に20〜30年間服役しなければ仮出獄を認めないというもの。死刑判決を減らすのが目的で、法施行後2年程度の死刑執行停止も付則として盛り込む方針。国会での本格的な死刑論議は、1956年に死刑廃止法案(廃案)が提出されて以来のこととなる。
  この法案提出によって、国民的議論を巻き起こすのが狙いだが、これまで政府は、死刑執行については秘密主義の傾向にある。
  小泉首相の歴史的な北朝鮮訪問時の拉致事件問題によって、全国に衝撃が走った直後で、ほとんど話題にならなかったが、9月18日、死刑確定者2名に対して絞首による死刑が執行された。昨年12月に2人の死刑が執行されてから約9カ月ぶり。1993年の死刑再開以来、執行されたのは計43人となった。今回処刑されたのは、福岡拘置所の春田(旧姓:田本)竜也死刑囚(36歳:熊本の大学生誘拐殺人事件)と、名古屋拘置所の浜田美輝死刑囚(51歳:岐阜の交際相手家族3人殺害事件)と思われる。「思われる」というのは、法務省は「2名の死刑を執行」としか発表せず、執行された囚人の氏名や執行場所も正式に公表していないからだ。死刑囚は刑の執行をそのわずか数時間前に告知され、死刑囚の家族にもその執行予定が知らされないまま行使される。
  日本の死刑執行はこれまで、複数の死刑囚に対して国会閉会中の休日などに行われることが多かったが、それは国会の場で議員からの質問や批判を避け、マスコミからの追求を最小限にするためと推測される。今回も祭日ではなかったが、やはり目立たないような日が選ばれた。
  人権団体アムネスティの調べでは、死刑廃止国は111カ国、死刑存置国は84カ国となっている(2002年1月現在)。世界の過半数の国で「死刑は野蛮で非人道的な刑罰であり、廃止へ」という潮流になっており、死刑存続の国々を見ても、執行数は減少傾向にある。1990年から2001年までの死刑の宣告数・執行数は、昨年を除くと1996年をピークに、どちらも減少傾向だ。2001年に死刑宣告を言い渡した国は68カ国。実際に執行したのは31カ国、全世界で執行された人数は3,048人。その中で、中国の処刑数が2,468人を占める。昨年の中国の、この群を抜く数を差し引いて考えると、世界的に減少傾向にあることは間違いない。中国、イラン、サウジアラビア、アメリカの4カ国だけで執行数の90%を占めるが、いわゆる先進国と呼ばれる国で死刑を実行しているのは、現在、日本とアメリカだけだ。アジアにおいても、韓国ではすでに国会議員の半数を超す署名が集まり、昨年10月、死刑廃止特別法案が国会に提出され、具体的に検討中だ。金大中大統領の就任以来、死刑執行は停止されている。また、台湾でも2004年に死刑を廃止する予定となっている。
  1989年には、いわゆる「死刑廃止条約」が国連総会で採択されており、日本政府は1998年11月に国連の自由権規約委員会から、死刑廃止を目指して具体的な措置をとるよう勧告された。また、欧州評議会(44カ国の構成国すべて死刑に反対)は、昨年6月、日本とアメリカに対して、「2003年1月1日までに死刑の停止または廃止に向けての措置と死刑囚の拘置状況の改善を講じない場合、現在有しているオブザーバーとしての資格を見直す」との厳しい決議を行った。このような状況下で、今回のような死刑執行に踏み切れば、日本政府は国際社会の動向に敵対する立場を選択しているとみなされてもしかたないだろう。欧州評議会議員総会のピーター・シーダー(Peter Schieder)議長からも、すぐに抗議声明が出された。
  死刑制度反対の理由として、「国家による殺人で残酷である」というもの以外に大きなものとして、「冤罪の可能性」が挙げられる。アメリカでは、DNA鑑定などで後に無実が判明した死刑囚があまりに多かったため、死刑制度を見直している州もある。日本でも最高裁で死刑が確定した後、再審請求で無実が明らかになったケースが戦後4例ある。
  死刑肯定の立場からは、犯罪抑止力としての必要性や、犯罪被害者の遺族の心情を考慮すべきだという主張がある。しかし、死刑が決して犯罪防止につながらないことは統計的にも明らかで、むしろ死刑制度があるために「どうせ死刑になるなら一人殺すも複数殺すも同じ」と殺人の連鎖が起こる可能性を指摘する社会学者もいる。一方、犯罪被害者の遺族の犯人への強い憤りは自然な気持ちであり、被害者及び被害者の遺族に対し政府による何らかの補償やケアも重要な問題として検討されるべきだろう。
  死刑制度を支持する人からも反対する人からも問題と指摘されているのは、日本では「終身刑」が無いことである。生命を奪う死刑と、10年を超すと仮釈放が可能な無期刑では、あまりに大きな違いがある。死刑には反対だが、数年後に凶悪犯が出所する可能性があることには恐怖をおぼえる、という人は少なくないだろう。また、同情の余地ある殺人犯に対して、死刑は厳しすぎるが無期懲役では軽すぎると感じる死刑肯定論者もあるだろう。
  今回の「死刑廃止を推進する議員連盟」の動きには、こういった背景をもとに、当初は死刑に替わる最高刑として、仮釈放を認めない終身刑を新たに設ける法案を検討していた。しかし、自民党を中心に死刑存続の声が根強く、可決される可能性が低いことから方針を変え、折衷案的な「特別無期刑」という内容になったようだ。
  終身刑については、死刑制度反対者からも囚人の社会復帰を前提にする見地から、「かえって残虐な刑罰で人道上問題」という批判もある。また、死刑存続派からは「凶悪犯を死ぬまで刑務所で養うのは税金の無駄使い」というコスト面での反対意見もある。
  ちなみに、ドイツでは1949年に死刑を廃止し終身刑を導入したが、終身刑が「生きながらの埋葬」であると批判され、1981年には終身刑も廃止している。
  死刑を廃止した多くの国は「死刑執行モラトリアム」という方法を採用した。死刑制度を維持しつつ死刑の執行を一律に停止し、その間に死刑制度について国民的な議論をして見直すというものだ。死刑廃止議連や日弁連でも現在、このモラトリアム導入を検討する声が少なくない。
  日本でも、死刑制度存廃に関しては、幅広い国民的議論がなされることが望ましい。死刑をひたすら厚いベールで隠し続けようとしている法務省が、「死刑制度を存続させるためだけに死刑執行を繰り返している」と人権団体から非難されるのは当然だろう。たとえ存続するにしても、情報が公開されて、人の命を奪う刑罰が適正に執行されたかどうか、議員やマスコミによってチェックされることが必要だ。
  現在、わが国の死刑確定者は54名。その中には冤罪の可能性を全く否定できないケースもあるのである。
<欧州評議会>
人権、民主主義及び法の支配の実現のための加盟国間の協調を拡大することを目的として、1949年(昭和24年)にフランス・ストラスブールに設置された国際機関。2001年1月末現在の加盟国は欧州43カ国。日本は、アメリカ・カナダ・メキシコとともにオブザーバー国となっている。
(フリーライター  志田 和隆)
2002.12.17
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