>  今週のトピックス >  No.637
「ALS患者に対する痰の吸引」と「介護保険の移送サービス」
〜行政が生み出した二つの重大失策〜
● 痰吸引の「業務外」通達がヘルパーのモチベーション低下につながる
  薬害エイズや狂牛病問題で嫌というほど見てきていることではあるが、日本の厚生行政は相変わらずどこかピントがずれているようだ。
  最近では、「ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に対する痰の吸引」と「介護報酬改定に伴う乗降車介助」という二つの問題に関して、ずれの修正がきかないまま現場が大きな混乱をきたす事態に陥っている。
  前者に関しては、「今週のトピックス」でも何回か取り上げてきた。問題の焦点は、医師や看護師以外の職種、つまりヘルパーなどの介護職にも痰の吸引を認めるか否かにある。
  今年2月、ALS患者などからの要請を受け、坂口厚生労働大臣は「看護師等によるALS患者の在宅療養支援に関する分科会」の開催を指示。5月13日の最終会合でまとまった報告書では、「当面やむをえない措置」としてヘルパーによる吸引を容認している。
  問題は、「ヘルパーによる吸引は、あくまで家族による吸引と同等に扱う(家族による吸引は例外的に認められている)」といった解釈論である。つまり、「ヘルパーは"家族"として吸引すべきであり、正規のヘルパー業務として行うものではない」という理屈だ。
  検討会は、吸引の安全性を重視してきたはずである。本当に安全をうたうなら、きっちり正規の業務と認めたうえで、ヘルパー教育の管理を強化していくのが筋だろう。しかし報告書では、そのあたりの具体的な提言に関してはほとんど踏み込んでいない。
  筆者は常々、働き手のモチベーション低下が、事故を引き起こす最大の要因と考えている。「業務外」という通達は、明らかに職業ヘルパーのモチベーションを低下させる。それがいかに危険な状態を生み出すか、現場に近い人々ならば容易に想像が働くはずだ。
● 利用者を考えない行政がトラブルを生む
  「訪問介護における乗降車介助」についても、現場の混乱はピークに達している。いわゆる通院介助などにおける移送サービスの問題だ。
  今年4月の介護報酬改定で、乗降車介助は身体介護と切り離し、「適正化」という名目のもと、1回の報酬単価が1,000円に引き下げられた。背景には、乗降車介助にタクシー会社が多数参入し、厚生労働省が危機感を募らせたことが挙げられる。つまり、「社会保険料から出ている介護報酬で、タクシー会社を潤すわけにはいかない」という理屈である。
  ところが一方で、自治体向けに「移送サービスは道路運送法に留意して運営すること」という通達を出してしまったために、事態はややこしくなる。道路運送法においては、認可を受けていない移送サービスは「白タク」になってしまう。都道府県としては、違法な業者に介護サービスを任すわけにはいかず、利用者がある日突然「移送サービス」を受けられなくなるケースが出てきたのである。
  もともと国土交通省は、「移送サービスは道路運送法に抵触しているが、あえて刑事告発はしない」という非常に分かりにくい見解を示してきた。厚生労働省としては、この「分かりにくさ」を放置し、それに甘えてきたツケが回ったことになる。
  何とも間の抜けた話ではあるが、結局は「なぜ移送サービスを求める利用者がいるのか」をきちんと検証してこなかった点に問題が凝縮される。それさえできていれば、「タクシー会社の移送は介護サービスなのか」などというピント外れの議論は起こらなかったはずだ。
  厚生行政は、人の命を預かる使命を負っているのだから、ピント外れの伝統を改める必要があるだろう。
(医療・福祉ジャーナリスト 田中元)
2003.06.16
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